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イニシエーション・ラブ

book

言葉は、その目的によって伝え方や受け取り方が変わります。

例えば、学術論文やソフトウェアのドキュメンテーションなんかでは、 読み手は自分にとって重要な情報さえ分かれば良いことが多いので、自分の目的に関係ない部分は読み飛ばします。 逆に、書き手は可読性や検索性を意識して、読み手が重要な情報にちゃんと辿り着けるよう工夫します。

小説は少し性質が違います。 言葉の細かいニュアンスだったり、あるいはその時点では冗長すぎる状況描写だったり、 読み手は、そんな全ての表現に筆者の意図があると信じて、一文一文を追いながらその世界を頭の中で組み立てます。 逆に、書き手は見せたい景色がちゃんと伝わる必要十分な記述で、言葉の中にトリックを仕掛けて読者の予想を裏切ってみたりします。

今更ながら、乾くるみさんの「イニシエーション・ラブ」を読了しました。 初めに感想を言うと、描写がとても丁寧で、最後まで楽しく読める作品でした。

普段は全くと言っていいほど小説を読まないんですが、メンタルモデルが近い(と勝手に思ってる)友人の薦めで、 春休みを利用して何冊か読んでみようと思っています。今回はその一冊目です。

ネタバレはしませんが、 本作を楽しみ尽くすなら、予備知識や先入観を極力持たないようにして、素直な気持ちで読むことをおすすめします。 このブログに辿り着いているような人に予備知識ゼロを求めるのは無茶な話かもしれないけど。


さて、本作のタイトルであるイニシエーション・ラブですが、本書の中で次のように定義されます。

初めて恋愛を経験したときには誰でも、この愛は絶対だって思い込む。絶対って言葉を使っちゃう。でも人間にはーこの世の中には、絶対なんてことはないんだよって、いつかわかるときがくる。それがわかるようになって初めて大人になるっていうのかな、それをわからせてくれる恋愛のことを、彼はイニシエーションって言葉で表現してたの。それを私ふうにアレンジするとー文法的には間違ってるかもしれないけど、カッコ良く言えばーイニシエーション・ラブって感じかな

恋愛に限らず、たまたま初めてのタイミングでやってきただけの経験を過度に一般化してしまうのはよくある話です。

そんな偏った考えは、イニシエーション・ラブ(ラブとは限らないけど)を経験した人から見ると未熟に見えるのかもしれませんが、 じゃあ、イニシエーション・ラブを経験した人の方が偉いのかというとそれは違うと思うんです。

「絶対なんてことはない」と気付いたといっても、それはもう少し言葉を付け加えるなら、 「絶対なんてことは"絶対"ない」ということに気付いたわけで、 あれ?また絶対とか言ってない?ということになります。 これは哲学・論理学の分野で自己言及のパラドックス(liar paradox)として議論されています。

結局、経験をベースに価値観を構築する限りそこには多かれ少なかれバイアスがあるはずで、 この世で起き得る全てを経験するには寿命が短かすぎるわれわれ人間は、 限られた経験によって形作られる偏った価値観の中で生きていくしかありません。

どうせ偏った世界で生きるなら、せめて自分が楽しいと思える選択をして、 その価値観がひっくり返るような経験をする前にひっそり天国に行きたいなあ。